『大きな木』
シェル・シルヴァスタイン
村上春樹・訳
大きなリンゴの木と少年のお話。
リンゴの木は少年と遊ぶのが大好きで、いつも少年が来ないかな〜?と待っていて、自分の体で少年が遊ぶのが心底幸せだと感じていた。
月日が流れ、次第に木遊びをしなくなっていく少年。。
木:『ねぇ一緒に遊ぼうよ』
少年:『うーん…木登りより、僕はゲームがしたい。だからお金をちょうだい』
木:『私はお金を持ってないよ…そーだ!私のリンゴを売ってお金にすればいいよ』
またまた月日が流れ、家庭を持った少年は。。
木:『ねぇ一緒に遊ぼうよ』
少年:『そんな事より広い家が欲しいんだ』
木:『…だったら私の枝を切って、それで家を建てればいいよ』
またまたまた月日が流れ、世間に疲れた少年は。。
木:『ねぇ一緒に遊ぼうよ』
少年:『旅に出たいんだ…だから船が欲しい』
木:『…だったら、私の幹を切って、それで船を造ればいいよ』
またまたまたまた月日が流れ、すっかり年老いた少年は。。
木:『ねぇ一緒に遊ぼうよ』
少年:『…もう遊ぶ元気はないよ。人生に疲れた』
木:『ごめんね…もう切り株になってしまった私に出来る事はないよ…』
少年『出来れば、ゆっくり腰掛けられるイスが欲しい』
大きな木は背筋をピンと伸ばし…
『だったら椅子にはなれるよ!』
少年は切り株になってしまった木にゆっくり腰掛けました。
大きな木はとても幸せな気持ちになれました。
…ってな話だったと思う。
※違っていたらゴメンナサイm(_ _)m
無償の愛と言うのか…
母性愛と言うのか…
仮にそうだとしたら、男性である自分にはなかなか出来そうにないと思ってしまう。
と同時に太刀打ち出来るものではないとも思った。
その愛(エネルギー)はどこからやってくるのやら…?
愛を与えられたから…
愛を与えられるようになるのか…?
ニワトリが先か?
タマゴが先か?
…ん?ちょい違うか(苦笑
女性が故に持てる愛=母性愛とするならば。。やっぱり女性はすごい!…としか思えない。
シンプルな挿し絵と
シンプルな文で
大切な事を感じさせてくれる
絵本もすごい!
※木を女性と思って書いたけど…男性だとしたら『父性愛』。。
そこに自分を投影したら…
ピンチとなる(・・;)
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